第十一章
車輪は中心の空胴から放射状に伸びた30本の輻(や)からなり、
中心の空胴があるからこそ車輪としての用をなす。
容器は、粘土を周囲に固めて器となり、
容器の中のくぼみがあるからこそ器としての用をなす。
家屋を造るために、扉や窓が作られるが、
家屋は内なる空間があるからこそ家としての用をなす。
それ故、「有」なるものに「益」をもたらすのは、
中心に「無」が存在するからである。
真意
「車輪」、車輪とは運命。
存在するすべてと関わりながら、回転してゆく運命の輪。
「容器」、容器とは身体。
先祖、両親の縁が積み重なって与えられた生命の器。
「家屋」とは天と大地、すなわち地球。
地球が「無」でいてくれるからこそ、我々は分け隔てなく
平等に生かされ、生存することができる。
それ故、「存在」なるものに「益」をもたらすのは、
宇宙の中心に「無」があってこそである。
*参考
人が自然界に生かされ、有益な存在となるためには、
「無」がなすことの完全性を、心から信じ、
「無」にとって、有益な存在となることである。
☆ くまた ☆